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あとがき
きっかけは、平成十六年度上町若頭責任者の方から、『上町地車誌』に掲載する「上町地車清祓式」の写真を探しているとの連絡を頂いたことであった。夜中の神事という事情もあり、中々写真が見つからないとのこと。私は、「岸和田だんじり祭三百年記念祭(平成十四年)」以降、岸城神社氏子各町清祓式において、玉串奉奠の笛を務めさせて頂いており、幸い、六覺千手氏による記録用の写真が手元にあった。
「民の謡」では、「岸和田囃子」の調査・研究を行なっており、ご縁のあった町の方には、必ず「鳴物」について尋ねている。この時、「上町」には「七五三」と呼ばれる特殊な音曲が伝わっているということを初めてお聞きした。有名な「沼の七五三」とは異なり、その存在があまり知られておらず、さらに、笛の旋律が特徴的であるらしい。私は居ても立ってもおられず、すぐに青年団の鳴物係と会う段取りを組んで頂いた。ただし、実際に聴いてみるまでは何とも言えない。本人達が特殊であると思っていても、実は他町でも行なわれていたり、一般旋律に毛の生えた程度のもの、また、特殊であっても渋くない旋律の可能性もある。数日後「町会館」の一室。太鼓の代わりに机で拍子をとる青年団。冒頭の一節目は一般旋律と同じであり、一瞬期待をためらった。ところが、二節目からどんどん笛の旋律が変化し情緒的な雰囲気が溢れてきたのである。聴けども聴けども終わらない長い音曲であった。この時の感動が原動力となり、今、CD『上町の鳴物』を完成させるに至る。
これまでのCD解説書等でも述べてきたように、本盤に収められている祭礼当日の音風景は、「大長編芸術的民俗音楽」である。地車から囃される笛・太鼓・鉦の音、小中学生・青年団・後梃子の掛け声、大工方の団扇、コマと地面との接触音、さらに、その一部始終を見つめる見物人の歓声。これらすべては地車の動きに支配され、有機的な繋がりをもって発せられる。何百何千の人々の想いが同じ方向を向き、そこから生み出される音の数々が一つの「音楽」を形成している。この音楽に包まれ、曳き手、見物人共、非日常のハレの舞台に酔いしれる。各地の祭礼は形態は違えどもその魂の向かう方向は同じであろう。
祭礼当日、我々は目立たぬように、「上町」の文字が入った町公認の黒Tシャツ、黒のズボンと靴を装着し、マイクには移動による振動を緩和するための工夫が録音技師の中田氏によって施されていた。早朝の「曳き出し」は、村中では地車の後方に付き、塔原線で曳き出しを見送り、固定で遠音を録音する予定であった。ところが、思わず体が動き、突き動かされるように地車を追ってしまったのである。「練りあし」程度は付いていくつもりであったが、高速曳行の密着録音も強行。私は録音に全神経を集中させる中田氏の安全を確保しながら、絶好の録音位置を狙って誘導を行なった。前作CD『岸和田八木だんじり祭 鳴物十三ヶ町』録音時は、基本的にはマイクは固定であったが、「灯入れ曳行」時には、地車の前方綱元付近に付いて移動しながらの録音を試みた。この経験が活かされた瞬間である。最高気温34℃、熱中症患者が続出し救急車のサイレンが鳴り響く過酷な天候の中、二日間走りっぱなし。前代未聞の録音となった。祭礼関係者、見物人に揉まれる中、自らも祭礼に参加している感覚に陥り、祭礼関係者の目線での録音となっていったのである。その結果、「小屋前練習風景」、村中での「梃子捌き」、「やりまわし前の緊張感」や豪快な「やりまわし」、優美な「七五三」や子供達が鳴物を囃す「灯入れ曳行」、地車納庫後の「オッシャカシャン」等、あらゆる場面を収録することができた。上町の歴史と地車について詳述している『上町地車誌(上町地車誌制作委員会)平成十六年』を、「鳴物」という観点から補完できたのではないだろうか。また、
地車曳行は神社の例大祭における「神賑行事」であるとの観点から、「湯立神事」「例祭式」「宮入り式」について詳述し、「宮入り式」の音風景を祝詞と共に収録できたことは、今後の「岸和田祭」の発展の方向を考える材料の一つを提供できたのではないかと自負している。さらに、豪快な曳き廻しに耐え得る「地車」が、単なる粗雑な「箱」ではなく、豪華絢爛の彫物が各部に詰まっていることを紹介した『上町の彫り物(古磨屋)』を付録した。
中田氏は、過酷な状況で録音を行ない、納得のマスターディスクを製作。六覺千手氏は、「曳行者の目線」であらゆる場面を写真に収め、本作品を象徴する最高の絵を表紙に仕上げた。私を含めわずか数人による現場録音であったが、上町の各種団体の方々の協力を得て、平成十六年祭礼当日の音風景を忠実に記録することができた。関係者各位に改めて御礼申し上げたい。本盤および解説書が「岸和田の鳴物」「日本の鳴物」の継承・発展に貢献することができれば、製作者として何よりの幸いである。
次は、岸和田旧市全町を収めたCD『平成鳴物見聞録』の製作に取り掛かる。脈々と受け継がれ、各々の町で奏される鳴物によって引き起こされる感動が、私の原動力である。
平成十八年一月吉日 民の謡代表 森田 玲
『上町の彫物』 あとがき
写真集『上町の彫物』は、CD『岸和田だんじり祭 上町の鳴物』(製作・民の謡)の特別付録として製作されたものである。
「岸和田だんじり祭」は、「やりまわし」と呼ばれる、重さ約四屯の地車を加速させ、高速で直角に曲げる迫力のある曳行方法で有名である。時には、勢い余って地車が転倒したり、電柱や民家に突っ込んだりすることもある。このように、絶えず破損の危険と隣り合わせである地車は、常識的に考えると、よほど頑丈であるか、造り替えが容易でなくてはならない。
ところが、岸和田の人間は、そのようなモノでは満足できずに、地車の随所に意匠を凝らした精細な彫物を詰め込んだのである。素材は欅。彩色を最小限に抑え、木目を活かした素木造り。彫物の題材は、神話・霊獣・花鳥、戦記物や地元の伝承などに幅広く求められる。そこに配される彫物の一つ一つは、彫師が精魂込めて叩き、削り、仕上げたもので、破損してしまうと二度と再現が不可能な芸術作品である。このような日光に晒すことすらはばかられる豪華な「地車」を、豪快に曳き廻すところに「岸和田祭の美学」がある。
本書は、これまで地車曳行の迫力に押され、充分に伝えられてこなかった「岸和田祭」の魅力を、「彫物」という観点から紹介している。CD『上町の鳴物』と併せて鑑賞頂きたい。
撮影は六覺千手氏に依頼した。地車の絵や物語性を重視した写真表現に定評のある彼の写真は、「地車彫刻」の潜在的な魅力を存分に引き出してくれた。彫物の見方は、百人百様であり、本書の捉え方もその一つに過ぎないが、これまで気付かなかった彫物の魅力を感じていただけるはずである。
地車各部位を網羅した写真と解説、大工や彫師、上町の歴史については、平成十六年発行の『上町地車誌』(上町地車誌制作委員会)を参照されたい。撮影にあたって、上町祭礼関係者の方々には、当写真集発行の趣旨をご理解いただき、ご協力を賜りました。改めて御礼を申し上げます。
平成十八年一月吉日 古磨屋
古磨屋では、今後も地車の魅力を追求し紹介していく
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まえがき
泉州音百景 「民の謡(たみのうた)」は、大阪府・泉州地域に関わる後世に伝えたい音風景を、その継承・発展に貢献することを目的として、さまざまな方法で紹介する。
CD『岸和田 八木だんじり祭 鳴物十三ヶ町』は、「資料性」と「鑑賞性」を両立させ、当地の地車(だんじり)関係者のみならず、各地の祭礼関係者や、民俗音楽に興味を持つ方々をも対象とし、幅広い要求に応え得る作品を目指した。
「祭礼当日録音」という語句から受ける印象は如何なるものであろうか。見物人のざわめき、あちこちで鳴る笛や太鼓、交通整理の声等、資料用CDとしては必要な音であっても、それを鑑賞用CDとして再生した場合には、雑然として聴き心地が悪いと想像する方も多いのではないだろうか。
ところが、その予想に反して、だんじり祭の音風景は、早朝の「曳き出し」から「宮入り」「行基参り」、夜の「灯入れ曳行」「しまい太鼓」と、二日間途切れることなく繰り広げられる、大長編の芸術的民俗音楽であった。
地車曳行には、子供から大人まで何百人もの人々が関わる。地車から囃される笛・太鼓・鉦の音、小中学生・青年団・後梃子の掛け声、大工方の団扇、コマと地面との接触音、さらに、その一部始終を見つめる見物人の歓声。これらのすべての音は、地車の動きに支配され、有機的な繋がりを持って発せられる。何百何千の人々の想いが同じ方向を向いた時、そこから生み出される音の数々が一つの「音楽」を形成したことは、必然であると言えよう。だんじり祭未経験の方は、まずは「音楽」を聴くつもりで再生していただきたい。
「資料性」と「鑑賞性」を両立させるための選曲・編集作業は、自身が祭礼に関わってきた経験と篠笛奏者としての経験から、比較的順調に進めることができた。しかし、粒のある大太鼓の胴鳴り、笛の指打ち、青年団の掛け声等、だんじり祭を構成するあらゆる音を、同時に理想的な音色で再現することは、相当の困難を極めた。この点に関しては、音声担当の中田宏氏と協議を重ね、最終的に「ケヤキが匂う」音に仕上げることができた。地車の精細な彫物を凝視するかのように、細部まで耳を凝らして聴いていただきたい。また、音源情報を補完するための意匠と写真には、六覺千手氏の手が大きく活きている。
さらに、中村允之氏(平成十四年度八木祭礼年番・年番長)、塚本浩司氏(平成十四年度八木連合青年団・団長)には、各町祭礼関係者との調整、貴重な助言等、言葉では言い尽くせない協力を賜った。加えて、平成十四年、十五年、十六年度の八木祭礼年番をはじめ、各町青年団、祭礼関係者、夜疑神社、久米田寺、久米田池郷、岸和田だんじり会館の方々には、解説書作成のための多くの情報をいただいた。心からお礼を申し上げたい。
私は、遠音のさす艶のある歯切れの良い笛を奏すために、身体の底から深く太い息を押し出すことを心掛けている。唇はその流れを整える役割に過ぎない。今回、このCDの制作にあたって、整え切れない程、深く、太く、勢いのある祭に対する地域の人々の想いが集まった。後は、どこまで遠音のさす作品に仕上がったか、これからの鳴物を見守りたい。
平成十六年八月吉日 民の謡代表・森田 玲 |
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あとがき
録音から丸三年。その間ひたすら内容の充実に努め、本盤は完熟した。製作の発端は、「岸和田囃子」における「極細管」「均等打ち」等に対する議論を起こしたいとの想いであった。
民の謡では、篠笛を見た目だけではなく、何管もの中から、自分に合った吹き応えのある笛を選んでもらっている。できるだけ私が立ち会うようにしており、各町の鳴物担当者と交流する機会が増えた。今年は、笛の鳴り具合が心配で、祭礼当日は地車を追いかけ、鳴りにくそうな場合は、休憩中に奏法等の助言を行なった。「極細管」に慣れた奏法で民の謡の笛を吹くと、多少問題が生じるからである。私自身篠笛奏者として痛感していることであるが、自身の楽器を信用しないと、己に克ち満足の笛を吹くことができない。本番・祭の笛は、真剣勝負であり、一瞬の迷いが命取りになる。唇、指先にしっくりと収まり、切れ味の良い笛を個人に合わせて提供していくことが、鳴物に対して私が貢献できる最大の行為であると確信している。自分に合った笛で吹けば、当然その音量・音色も確実に向上する。今年は、昨年に比べ笛が抜けてくる町が格段に多くなった。「均等打ち」も改善傾向にあり、当初のもくろみはほぼ完遂の方向に向かっている。
さて、鳴物は、「例大祭」に伴う「神賑行事」において奏される音楽であり、単なる「イベント」のBGMではないということを心に留めておきたい。本書では、「神賑行事」としての「宮入り」と「行基参り」と題して、地車曳行の大前提について詳述し、各地の祭礼でも議論されている「例祭式」と「祭礼日」の日程分離の問題についても述べた。地車曳行の奥深さを理解し、より地車曳行に誇りを持ち、その結果、鳴物の継承・発展に寄与できる内容であると自負している。ぜひご一読いただきたい。
祭礼当日の音風景は、『宮入り編』の「まえがき」にも述べたように、「大長編芸術的民俗音楽」である。地車から囃される笛・太鼓・鉦の音、小中学生・青年団・後梃子の掛け声、大工方の団扇、コマと地面との接触音、さらに、その一部始終を見つめる見物人の歓声。これらのすべての音は、地車の動きに支配され、有機的な繋がりを持って発せられる。何百何千の人々の想いが同じ方向を向き、そこから生み出される音の数々が一つの「音楽」を形成している。この音楽に包まれ、曳き手、見物人とも、非日常のハレの舞台に酔いしれる。各地の祭礼は内容は違えどもその魂の向かう方向は同じであろう。本盤・本解説書が、「日本の鳴物」の継承・発展に貢献できることがあれば、製作者として何よりの幸いである。
本盤の完成は、中村允之氏、塚本浩司氏をはじめとする、祭礼関係者による録音当日での配慮や、その後の協力に負うところが大きい。また、中田宏氏、能美亮士氏には、過酷な録音環境と広範囲の移動距離の中、必要な音を完全に収録していただいた。マスタリングの段階では、中田氏に地元の人間がハマるであろう「音色のツボ」を理解していただき、再現することができた。写真と意匠は、今回も六覺千手氏にお願いした。一人で撮ったとは思えない程、あらゆる場面を格好良く収めていただいている。夜疑神社、久米田寺、久米田池郷の方々には何度も取材に応じていただいた。これら多くの方々に支えられ『行基参り編』は完成した。ありがとうございました。次回は『小屋前練習編』で。
平成十七年十月吉日 民の謡代表・森田 玲
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